喜舎場朝賢
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喜舎場 朝賢(きしゃば ちょうけん、1840年〈天保11年〉 - 1916年〈大正5年〉4月14日)は、琉球王国末期の官僚。琉球処分の過程を琉球側の視点で記録し、『琉球見聞録』を著した。童名は次郎。唐名は向(しょう)延翼。号は東汀[1][2]。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ a b 波平恒男「喜舎場朝賢と『琉球見聞録』」『政策科学・国際関係論集』第4巻、琉球大学法文学部、2001年3月、184-127頁、ISSN 13438506、NAID 120001372468。
- ^ 大里知子「「琉球処分」論と歴史意識」『沖縄文化研究』第38巻、法政大学沖縄文化研究所、2012年3月、337-384頁、doi:10.15002/00007974、ISSN 1349-4015、NAID 120004623093。
- ^ 比嘉春潮「喜舎場朝賢翁とその著書」喜舎場朝賢『琉球見聞録』至言社、1977年、p. 3
- ^ 下地智子「喜舎場朝賢の漢詩」 - 『琉球アジア社会文化研究』創刊号、琉球アジア社会文化研究会、1998年
- 1 喜舎場朝賢とは
- 2 喜舎場朝賢の概要
- 3 脚注
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