商業権の行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 01:24 UTC 版)
「バーニー・エクレストン」の記事における「商業権の行方」の解説
1990年代末、妻スラヴィカと共同信託でSLECホールディングスを設立し、その傘下に自身が所有するFOH、FOA、FOMなどのF1関連企業(フォーミュラワン・グループ)を置き、F1における様々な権利関係を統括するようになる。2001年、FIAはF1の商業権をSLECへ2011年から2111年までの100年間リースすると発表した。 エクレストンはSLEC株のうち25%を手元に残し、残りを投資銀行に売却。多大な利益を得ながら、CEOとして変わらぬ権力を保った。しかし、株式の過半数がF1外部に流れる状況が運営の安定を損ねるとして、自動車メーカー連合がGPMAを結成して新シリーズ立ち上げを唱える騒ぎとなった。2005年、バーニーはCVCキャピタル・パートナーズと共同でアルファプレマを設立。2006年、SLEC株の残り75%を回収し、アルファプレマを親会社にフォーミュラワン・グループを再構築した。 マックス・モズレーFIA会長のセックススキャンダル発覚後、2008年6月3日に世界各国の自動車連盟代表者などによる会長信任投票が行われた。その直前、モズレーは各国連盟に対し信任を求める書簡を送付したがその内容の一部に「商業権を握るエクレストンとCVCの勢力拡大を止めるべき、またそれを止められるのは自分(モズレー)しかいない」旨が記されていたことから、エクレストンとモズレーの関係が悪化した。さらにモズレーが総投票数の2/3近くの信任票を受け信任されたため、その後のカナダGPではモズレー続投によるイメージ悪化と権力集中を懸念するエクレストンと各チーム代表者が会合を開き、モズレー(FIA)の介入を受けない独立した新シリーズGP1設立を話し合ったと噂された。モズレーは2009年にバジェットキャップを巡るFOTAとの騒動の末、FIA会長選に再出馬せず退任した。 のちにエクレストンは人生のたったひとつの後悔として、モズレーのスキャンダルの際、助けを必要としていた彼を十分にサポートできなかったと明かしている。謝罪したが、その後しばらくはモズレーとの関係が上手くいかなかったという。
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