商店街の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 09:07 UTC 版)
尾頭橋商店街の歴史は明治にさかのぼり、農家が野菜市を開いたのが商店街としての始まりである。1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で焼失したが、戦後の1946年(昭和21年)に映画館の尾頭劇場が開館したことを機に商店街の再建が進み、1949年(昭和24年)に中日球場(後のナゴヤ球場)が完成したことでにぎわいを取り戻した。 1987年(昭和62年)時点の尾頭橋商店街には、大宝会館(後のタイホウ尾頭橋店)、モナコ、パチンコ正ちゃんという3店舗のパチンコ店があった。1995年(平成7年)3月16日に開業したJR東海道本線尾頭橋駅から徒歩約5分である。1995年4月15日・16日には尾頭橋駅の開業を記念して、第1回おとうばし商人まつりが開催された。2007年(平成19年)には自動体外式除細動器(AED)の設置費用が国や自治体の補助対象となった。同年に全国で補助対象に認定された140台のうち、名古屋市商店街振興組合連合会が70台を設置しており、他の商店街同様に尾頭橋商店街にもAEDが設置された。2011年(平成23年)には2灯式の街路灯54本の照明をLED化し、塗りなおしも行ってリニューアルした。2012年(平成24年)には1灯式の街路灯20本もLED化した。また、2014年(平成26年)には防犯カメラを商店街に10台設置し、防犯面や検挙に効果が上がっているとされる。商店街のすぐ近くに救急設備の整った藤田医科大学ばんたね病院があることから、2013年(平成25年)にはAEDが撤去されている。
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