大豊商店街の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:14 UTC 版)
1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明にかけて豊橋空襲を受けた豊橋市では、青空市場(闇市)が戦後に賑わいを見せた。しかし戦前からの商店街が元の場所で復興しはじめたため、豊橋市当局は新たに正規の商店街を築いて青空市場の業者を移転させた。 豊橋空襲で焼失していた豊橋市狭間小学校の跡地(現在の名豊ビルの場所)には間口50m・奥行き16mの大豊百貨店が建設され、この建物の裏側が大豊商店街に充てられた。大豊商店街は木造の棟割り住宅であり、一店舗あたりの面積は6坪(約20m2)程度、引揚者や戦災者が店を開いていた。その後には美観や防災面の観点から商店街の再開発計画が浮上し、商店主らは立ち退きに合意。大豊百貨店も含めて中心市街地の整備が進んだが、豊橋駅前に大豊商店街を移転させる用地が確保できなかったため、苦肉の策として市中心部を流れる牟呂用水上にビルを建設して移転することとなった。1968年(昭和43年)には大豊百貨店の場所に複合商業施設・名豊ビルが開業している。
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