商埠地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)
商埠地とは1905年(光緒31年/明治38年)に「日清満洲善後条約」第1条に準拠して、清が外国人居留地として自ら指定・開放した地域である。長春は同条約1条で、遼陽、吉林、哈爾濱、満洲里等と共に16ヵ所の開埠通商(外国人に交易地として開放)の都市のひとつとされた。 長春の商埠地は、1909年(宣統元年)に満鉄附属地により商業的地位が脅かされると考えた現地官憲が、長春城北門外と満鉄附属地の間及び附属地を囲む土地を買収して設置したものである。これは満鉄附属地への対抗策として設けられたものだったが、商業者の移住を奨励し、満鉄附属地と城内を結びつける役割を果たすことにより、長春全体の発展に貢献した。 なお、商埠地及び城内に於いても主要な道路は整備されていたが、市街地外の道路は殆ど整備されておらず、降雨時には馬車が泥濘に嵌まるような悪路も多かった。商埠地は西の大経路、東の大馬路(北門外大街から改称)の二大道路を基軸としており、附属地及び城内に通ずる幹路としている。これに数十条の道路を以って市街を形成していた。最も活況を呈したのは大馬路で、道の両側に大小の商店が軒を連ね、満鉄附属地の日本橋通と連絡して長春駅に達していた。 満洲国建国後、道路橋梁の修築や新道路の建設、上水道を整備して市街が再整備された。新市街整備まで満洲国政府の重要機関も概ねこの区域に存在した。
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