周期彗星の「発見」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 09:23 UTC 版)
近代になるまで、周期彗星というものは知られておらず、彗星の登場はまったく予測不可能だと思われていた。 初めて周期彗星の存在に気づいたのは、イギリスの天文学者、エドモンド・ハレーである。ハレーは、1682年の彗星の軌道が、1531年および1607年の彗星とほとんど同じであることに気づき、これら3つの彗星は同一の天体であり76年ごとに回帰すると推測した。ハレーは、より正確な予測のために、放物線軌道を仮定して計算し、次の回帰は1757年だと予測した。しかしハレーは、その日を待たずに1742年に死去した。 ハレーの予測通り、1758年12月25日に同じ軌道の彗星が発見された。近日点通過は予測の2年後の1759年だったが、これは木星と土星の摂動による軌道変化だとわかった。ハレーの功績にちなんで、この彗星はハレー彗星と呼ばれるようになった。 2番目に周期彗星であることが明らかになった彗星は、エンケ彗星である。初めて楕円軌道を仮定して軌道計算された彗星でもある。エンケ彗星も、1822年に周期彗星であることに気づき、軌道計算をおこなったヨハン・フランツ・エンケにちなんで名付けられた。
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