周期彗星の確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 04:58 UTC 版)
1826年、ビエラ彗星が近日点に接近しているとき、チェコのJosefstadt(英語版)という要塞で陸軍であったヴィルヘルム・フォン・ビーラはその軌道を計算し、周期6.75年の彗星であることを発見した。当時、周期彗星であると分かっていたのはハレー彗星とエンケ彗星のみで、これは3番目の発見であった。なお、1805年と1826年のビエラ彗星を初めて数学的に同定したJean-Félix Adolphe Gambart(英語版)の名前を命名するべきだという声もあった。さらに彼はAstronomische Nachrichtenにビーラよりも1日早く投稿した。それでもビーラの観測日は2月27日、Gambart観測日は3月9日であったため、ビーラの名が付けられることになった。 ビエラ彗星は1832年に回帰が予測され、9月24日にはジョン・ハーシェルが再発見した。軌道要素や天体暦はオルバースにより計算され、10月29日の接近の際には彗星のコマが地球を通過する可能性があることを示したため、世間を騒がせたこともあった。その後、当時のメディアは地球滅亡の可能性を予測したが、11月30日になるまで地球とコマが接触する地点にならないことをフランソワ・アラゴが指摘し、一般人の恐怖を和らげた。 1839年に回帰するときはビエラ彗星が地球から遠い位置にあり、観測に適さない状況であったため、観測の記録はなかった。
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