否定側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
黒田の周到な論述と、泉による絵絹の時代変遷の検討によって、新説の論拠はほぼ固められつつあると言ってよい。しかし、一部の美術史家には根強い違和感が残っている。例えば辻惟雄は、「神護寺三像」と「夢窓疎石像」は部分部分を切り取れば似ているように見えるが、両者を直に観察すれば、線質などに10年ではきかないほど距離があると指摘。また、南北朝時代にこれほどの肖像画を描きうる絵師は想定しがたく、現場で多様な作品を見続けた経験に裏付けられた直感として到底承服出来ないと強く反発し、美術史家の河野元昭も賛意を示している。他にも美術史家の有賀祥隆は、三像に表れた風俗や有職故実などの初発性が問われるべきだとし、やはり作風から13世紀半ばを想定している。
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