君主とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 07:50 UTC 版)
フリードリヒは、なにゆえに君主が人民を支配するか、すなわち統治の由来について、社会契約に基づいた君主論を展開し、ゆえに、君主は「正義こそ君主の主たる目標」「人民の福祉こそ他のすべての利害に優先されなければならない」とし、そして、 「 君主は、人民の主人であるどころか、(逆に)その第一の従僕に過ぎない 」 と主張した。 また君主制と共和制を比較して、フリードリヒは、共和制を人の自然状態に近い政体として認めるが、しかし、如何なる共和制も万物流転の例に漏れず、いつかは不自由な専制政治に堕ちることは避けられない。そうなると人民は自由を完全に失ってしまうから、君主が(先に示された)その義務を果たす限りにおいて、理性と徳の支配によって人民に自由の保障を与えることのできる君主政体のほうが、より優れた政体であると主張した。 さらにフリードリヒは、彼自身が国家であるかのごとく万事に関わって諸事を総覧する君主と、大臣にかなりの権限を譲って統治する君主の二類型を比べ、前者の優越を主張し、後者を批判した。大臣は君主の動かす道具であるべきであって、後者の君主は、逆に大臣により動かされ、国家に対して義務を果たさない、無用な存在に成り下がるからである。 ただしフリードリヒ自身、このような君主が常に、あるいは完璧に条件を満たして存在しうるか、という点については困難であることを認めている。「完成を目指して行われた努力に満足するのが公正(な態度)である」
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