君が代
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大山は日本国歌となる君が代の制定にも関わっているとされることがあるが、曾孫大山格は巌が国歌制定に関わったという話は大山家に全く伝わっていないとしている。 大山巌自身の談話によれば、明治3年の末、もしくは4年の始めごろ(グレゴリオ暦では1871年)、御親兵における薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対しイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンは、国歌あるいは儀礼音楽的な物があれば、それから指導すると述べた。これを薩摩バンド隊員が当時の藩砲兵隊長であった大山に報告した際、大隊長の野津鎮雄と薩摩藩大参事の大迫貞清も臨席していた。この際に大山は「(イギリス国歌のように)宜しく宝祚の隆昌天壌無窮ならむことを祈り奉れる歌を撰むべきである」と述べ、愛唱歌である薩摩琵琶の「蓬莱山」を提案したところ、野津も大迫も賛成した。大山はその後どのような経緯を経て「君が代」が国歌となったのかは知らないと述べている。ただし「君が代」を提案したのは静岡藩士の乙骨太郎乙であるという説も存在している。
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君が代
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安倍の著書『美しい国へ』によれば、「君が代」は「世界でも珍しい非戦闘的な国歌」であるという[要出典]。
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君が代
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「バジル・ホール・チェンバレン」の記事における「君が代」の解説
1880年(明治13年)、日本の国歌として『君が代』が非公式に採用された。君が代は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。チェンバレンはこの日本の国歌を翻訳した。日本の国歌の歌詞とチェンバレンの訳を以下に引用する。 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで — 君が代、日本の国歌 A thousand years of happy life be thine! Live on, my Lord, till what are pebbles now, By age united, to great rocks shall grow, Whose venerable sides the moss doth line. 汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるようにわれらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが時代を経て、あつまりて大いなる岩となり神さびたその側面に苔が生(は)える日まで この歌は皇統の永続性がテーマとされる。和田真二郎 『君が代と萬歳』、小田切信夫『国歌君が代の研究』では、チェンバレンの英訳を高く評価している。
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