名神の称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 02:00 UTC 版)
名神(みょうじん)は神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号で、『続日本紀』天平2年(730年)10月庚戌(29日)条の、渤海からの貢物を諸国の「名神社」に奉ったとあるのが文献上の初見であるが、弘仁12年(821年)正月4日付太政官符に、名神は「或は農の為に歳を祷り、或は旱の為に雨を祈る。災害を排すに至り荐(しきり)に徴応有り」とあるように、とりわけ農業の保護が期待されていたことが伺える。もっとも、その点では官社一般も同様であるため、官社数の増大に伴って官社中でも特殊的な位置を占めることを明確化するために名誉的に設定されたものと見る説もある。『日本後紀』以後、次第に仏教用語の意味合いを含んだ「明神」と混用記載されるようになり、律令制の弛緩に伴って、名神社は二十二社へと収縮固定されて名神祭も廃絶したため、中世以後は社格の意味を持たない「明神」にとって代わられた。 ある神が名神と認められる条件は、官社(官幣社)に列し(神位を授けられ)、大社に昇格している必要があるとされるが、非官幣社や無神位の神が名神になる例もあり、また「六国史」等の記録にも、名神に預かるようになった理由を示すものは稀である(わずか3例4神社のみ)ため判然とはしておらず、「名神祭式」の預名神官社条にも、その手続きは定められているものの、その要件は示されていない。なお、同条によれば、名神となるには内印の押された名神に預かる旨の太政官符が神祇官と所轄する国に下達されるのを待て、とあり、勅許を得てから神祇官の神名帳(これが大成されたものが『延喜式神名帳』)と諸国の神名帳(いわゆる国内神名帳)に記載されるという手続きが定められていた。
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