名神大社「二荒山神社」とは? わかりやすく解説

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名神大社「二荒山神社」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:41 UTC 版)

二荒山神社」の記事における「名神大社「二荒山神社」」の解説

延喜式神名帳』には、名神大社として「下野国河内郡 二荒山神社」と記載があり、以下の2社が論社とされている。 二荒山神社宇都宮二荒山神社) (ふたあらやまじんじゃ・ふたらやま-、栃木県宇都宮市馬場通り一丁目二荒山神社日光二荒山神社) (ふたらさんじんじゃ栃木県日光市山内ほか) 両社とも祭神異なり名称の由来も異とされるため、全く別の神社とされるしかしながら日光社は下毛野氏氏寺である下野薬師寺修行僧勝道上人開祖とする一方宇都宮社は宇都宮氏座主となるまで座主下毛野氏姻戚であったといわれており、両社とも下毛野氏にゆかりの深い神社である。 鎮座地に関して明治政府が著わした『古事類苑』では、日光社のある日光市は旧下野国都賀郡であり、河内郡鎮座名神大社河内郡池辺郷の二荒山神社宇都宮明神)であるとしている。 社名に関しては、日光社は「二荒山」が男体山古名であるとし、二荒の読みから「日光」の二文字当てられるようになったとされている。しかしながら平野に建つ宇都宮社には「二荒山」の観念が結びつかない。 この論争巡っては、明治4年に「二荒山神社 下野国」として国幣中社列していた宇都宮社が、日光社が式内社みなされたことで明治6年県社降格したという経緯がある。その後明治16年1883年)に宇都宮社も式内社論社として位置付けられあらため国幣中社社格復帰した。 現在は両社とも式内名神大社下野国一宮称している。

※この「名神大社「二荒山神社」」の解説は、「二荒山神社」の解説の一部です。
「名神大社「二荒山神社」」を含む「二荒山神社」の記事については、「二荒山神社」の概要を参照ください。

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