名古屋への初期の空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:34 UTC 版)
「名古屋大空襲」の記事における「名古屋への初期の空襲」の解説
1942年(昭和17年)4月18日にアメリカ陸軍航空軍のB-25爆撃機によるドーリットル空襲が行われ、名古屋にも同爆撃機2機による初の空襲があり、死者8人、負傷者31人の被害を被った。 1944年(昭和19年)7月、サイパン島などマリアナ諸島をアメリカ軍が制圧し、ここが以後の日本本土空襲の基地となった。 同年12月13日、アメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機90機により、日本の航空用発動機生産高の4割以上を生産していた東区大幸町の三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場(三菱発動機第四工場、現在のナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)及び名古屋大学大幸医療センター付近)に対する初の本格的空襲が行われた。天候等の関係から爆弾は思うようにこの工場に命中せず、アメリカ軍は翌1945年(昭和20年)4月7日まで執拗に爆撃を繰り返し、7回の爆撃で工場を壊滅させた。工場に命中しなかった爆弾は周辺の民家に着弾し、多くの民間人が巻き添えになって死亡した。 また、この12月13日には「東洋一の動物園」と謳われた千種区の東山動物園においても、爆撃で破壊された飼育施設から逃げ出さないよう多数の猛獣類が殺処分された(戦時猛獣処分)。東山動物園では他の動物園で猛獣処分が始まってからも殺処分を拒んでいたが、警備に協力していた猟友会の強い要求を受けて処分に至った。
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