名優たちと『桐一葉』とは? わかりやすく解説

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名優たちと『桐一葉』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/30 04:00 UTC 版)

桐一葉」の記事における「名優たちと『桐一葉』」の解説

五代目中村歌右衛門淀君を、十一代目片岡仁左衛門は且元をそれぞれ当たり役とし、その後もこの作品幾度も再演した五代目右衛門ヒステリー気味の淀君表現するために、わざわざ精神病院出向いて患者観察するほどの入れ込みようで、そんな努力によって造形された淀君第一級評価受けた以後はこの淀君が彼生涯当たり役となり、数多く作品初演で自ら淀君つとめた。これを成駒屋中村歌右衛門家のお家芸としてまとめたのが『淀君集』で、そこに名を連ねる一連の役柄はどれも「淀君」という独特な家の芸となった。また五代目右衛門は、障害のあった体の固さ優れた口跡と独自の発声法補ったが、特に淀君のそれは観客誰もが淀君かくありなんと思わしめるほどのものだったといい、これが録音盤吹き込まれ販売されるとすぐに売り切れるほどの大評判となった明治40年1907年)ごろ、我當時代の十一代目片岡仁左衛門門人若手率いて桐一葉』をメインとする旅巡業広島から福岡熊本にかけて行った。どこへ行って新しい劇を望む観客支持受けて彼の且元は大好評大入り満員のため3日興行普通なのに2週間近くロングラン続けた調子に乗った我當は帰路も同じ場所で興行続けたが、さすがに同じ『桐一葉というわけにはいかず、やむなく他の演目出したところ、今度逆にさんざんな不評一座難渋した十五代市村羽左衛門三代目市川壽海木村重成、そして六代目尾上菊五郎七代目尾上梅幸銀之丞は、後世語り継がれる当たり役だった。壽海昭和43年1968年)につとめた重成は絶品で、当時80歳を越えていたにもかかわらず、その清新な芸風爽やかな口跡が重成の性根にぴったりで、どう見て台本どおりの20歳若者だったという。 十三代目片岡仁左衛門は、父の十一代目仁左衛門の且元と十五代目羽左衛門の重成が忘れられず、昭和30年代天竜寺三男片岡孝夫と『長柄堤』を上演した際、自らは十一代目仁左衛門の型で、孝夫には十五代目羽左衛門の型でこれをつとめさせた。以後十三代目仁左衛門は、この『長柄堤』を一度劇場檜舞台孝夫とつとめることを生涯念願とし、昭和63年1988年11月国立劇場における『桐一葉』の通し狂言でこれを実現させている。

※この「名優たちと『桐一葉』」の解説は、「桐一葉」の解説の一部です。
「名優たちと『桐一葉』」を含む「桐一葉」の記事については、「桐一葉」の概要を参照ください。

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