合法政党「奄美社会民主党」結成
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「奄美共産党」の記事における「合法政党「奄美社会民主党」結成」の解説
1950年7月、奄美群島政府が発足。奄美共産党はこれを機に大衆合法政党「社会民主党」の結成を方針化し、教育者で詩人かつ「自由社」で穏健な出版活動をしていた泉芳朗に接近。8月11日、自由社と名瀬連合青年団の講演会。事実上、社会民主党の旗揚げ集会となる。社会民主党は市連青と自由社を基盤とし、協和党と並ぶ2大政党のひとつとなる。8月17日、正式に社会民主党が発足。労働組合、農民組合、小作人組合、借地借家人組合、青年団、婦人生活擁護会などを組織する。8月23日に結党大会を開催し、「奄美人民政府樹立」の方針を放棄して、「奄美の日本復帰を党是として確立」する。初代委員長には元警察署長だった豊蔵朝秀が就任。書記長に自由社の泉芳朗。 秋には、四地区(奄美,沖縄,宮古,八重山)群島政府の設立に伴い、知事ならびに群議の公選が実施され、社会民主党は群議一,市議四名を勝ち取る。知事選でも日本復帰を公約に掲げた中江前知事が、笠井前副知事を破り勝利。12月10日、社会民主党が第2回党大会を開催。委員長に泉芳朗、書記長に佐野喜島(元全官公庁職員組合委員長)らを選出する。
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