右前(右衽)と左前(左衽)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 22:49 UTC 版)
「着付け」の記事における「右前(右衽)と左前(左衽)」の解説
着物を着る際、手を袖に通した後、右の衽(おくみ)を体に付けてから左の衽をそれに重ねる。このことを「右衽(うじん)」という。右の衽が自分から見て左の衽よりも手前側に来ることから、「右前(みぎまえ)」とも呼ぶ。 死者に死に装束を着せる場合、通常と反対に「左前」(ひだりまえ)に着せるため、左前は不吉とされる。これは「死後の世界はこの世とは反対になる」という思想があるためであるといわれている。 日本で着物をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説がある。 埴輪にみられるように、古代においては左前であったとみられる。その後、『続日本紀』(しょくにほんぎ)によると、719年に、全ての人が右前に着るという命令が発せられたという。これはその当時手本としていた中国において右前に着ることが定められたのでそれに倣ったものといわれている。中国で左前にすることが嫌われたのは「蛮族の風習であるため」とされたが、この蛮族というのは北方に住む遊牧民のことで、彼らは狩猟を主な生活として行う上で弓を射やすいという理由で左前に着ていた。農耕民である漢民族とは全く違う暮らしをし、しばしば農耕民に対する略奪を行っていた遊牧民は、中国の古代王朝にとっては野蛮で恐るべき存在であり、これと一線を画することを決定したという説がある。それまでは中国でも左前に着ていた時期が存在する。 また一説によると、一般的に右利きが多く、右手で刀を抜きやすいように腰の左側に刀を差すことが多いため、刀を鞘から抜こうとするとき、抜こうとした刀が衿に引っかかってしまうことがないように、右前に着るようになったのだという。 弓による狩猟を行っていたアイヌ民族の衣装も本来左前であるが、現在は和服の作法に倣った右前としている。
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