台湾での現役復帰から二度目の引退まで
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「野中徹博」の記事における「台湾での現役復帰から二度目の引退まで」の解説
1993年、知り合いの新聞記者の紹介で台湾の中華職業棒球聯盟(CPBL)の俊国ベアーズの入団テストを受け合格。ここで実績を残し3年後に日本球界から誘いを受けるつもりでいたが、1年目に15勝を挙げたことで在京チームから獲得を打診される。保有権の問題でこのチームへの移籍はならなかったが、1994年春季キャンプで中日ドラゴンズの入団テストに合格し、日本プロ野球への復帰を果たした。読売ジャイアンツとの10.8決戦では8・9回の2イニングを無失点に抑えた。野中はこの試合がプロ生活での一番の思い出と語っている。 この年は21試合に登板して初セーブを挙げ翌年も20試合に登板したが、監督が星野仙一に交代した1996年は機会に恵まれずオフに戦力外通告を受ける。1997年、ヤクルトスワローズの入団テストを受け合格。5月27日の対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)でリリーフ登板し、悲願のNPB初勝利。プロ野球に所属して10年、回り道を入れると13年かかっての初勝利であった。この年も中継ぎとして活躍し日本一に貢献したが、翌年は坐骨神経痛を患いオフに戦力外通告を受け現役を引退。
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