可動式広告板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 04:44 UTC 版)
「広島市民球場 (初代)」の記事における「可動式広告板」の解説
当初の建設計画においては、本塁は北西に置く計画であったが、建設省から「文化施設のそばに正面玄関が位置することになり騒音上好ましくない」(当時、児童文化会館が建設予定地北側に存在した)、「外野スタンドの裏側がメインストリートに面し、背を向けるのは景観上好ましくない」等、注文を付けたため、設計は変更され本塁は南南東に置かれることになった。そのため西側のレフトスタンド背後に沈む太陽の直射日光が打者や捕手のプレー、特に三塁側からの送球に対する一塁手の捕球を妨げたり、ホームチーム側の一塁ベンチを直撃するようになった。 こうした問題点は建設当時の広島市助役が、「選手としてはやりにくいのは私もシロウトではないからよく分かっているが、建設省がこれでやれと言うのだから仕方がない。」と漏らす等、早期から認識されており、そのため完成当時は一塁側・三塁側のどちらのベンチを使用するか、ルール上の選択権がホームチームにあることを利用し、デイゲームではホームチームの広島が三塁側ベンチを使用することがあった他、ナイトゲームでも太陽が完全に沈むまで試合を開始しない措置がとられることもあった。 1959年にはレフトスタンドの最上段に木製の日よけ設備が完成、これに企業広告を兼ねた垂れ幕を張ることで、試合に支障をきたすほど深刻な問題となっていた西日の影響を緩和することが出来るようになった。この日よけ設備は、1984年に可動式の大型広告板へと発展した。
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