古賀春江の「超現実主義」
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「古賀春江」の記事における「古賀春江の「超現実主義」」の解説
シュルレアリスム移行後の古賀の絵にはしばしば近代的な建築物やロボット、機械が描きこまれており、残されているデッサンにもしばしば登場する。また、画面は構成的であり、ヨーロッパのシュルレアリスムが科学や合理主義への懐疑・反発・否定を出発点としたのとは矛盾する態度を示した。その他、1930年1月に発表した「超現実主義私観」に見られる古賀の超現実主義の理解は、ヨーロッパのシュルレアリスムとはまったく異なったものだった。この小論の中で古賀は以下のように書き、夢や無意識の世界を描くことを否定的に見ている。 超現実主義を以って夢に等しき無目的の意識状態であるといふ説は首肯出来ないものである。 そして、画面の構成を強調し、超現実主義とは主智主義である、と主張している。 超現実主義は純粋性へ憧憬する意識的構成である。故に超現実主義は主智主義である。 事物の純粋性が強調され、そのためには、描かれた対象から現実感を消し、更には、絵から感じられる作者の感情も消し去る必要があると主張する。 この場合の対象は何処まで精神を通して計算されるものであって現実的意味を持たなくなる。現実的形式ではなくして芸術的形式である。例へば描かれたる机は机自身の形ではない。具象的現実の机ではなくなるのである。斯く対象としての現実的表象がその意味を持たなくなった所から芸術は始まる。作者の影も同様に薄くなる。こゝに作者が居ると思はせる作品はまだ純粋ではないのである。純粋の境地―情熱もなく感傷もない。一切が無表情に居る真空の世界。発展もなければ重量もない。全然運動のない永遠の静寂の世界!超現実主義は斯くの如き方向に向つていくものであると思ふ。
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