古朝鮮の建国年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 15:17 UTC 版)
北朝鮮は発掘した檀君陵の「檀君骨」を電子スピン共鳴測定法による年代測定にかけたところ、5011年±267年以前という測定結果がでたと主張し、古朝鮮建国を686年遡らせ、「紀元前2333年という古朝鮮建国年代は堯が即位して50年目であるという『三国遺事』の記録に基づいており、これは中国に先んじてはならないという事大主義のため、中国と建国年代を同時期にしたものであり、檀君の建国年代は紀元前30世紀でなければならない」と主張している。 李基白(朝鮮語版)(朝鮮語: 이기백、西江大学)は、「紀元前31世紀に古朝鮮を建国したという主張は成立しません。国家が形成されるには青銅器時代が必要です。朝鮮の青銅器時代は遡っても紀元前12世紀です。古朝鮮領域で発見された琵琶形銅剣がその時代のものです。それ以前は新石器時代であり、世界の歴史において、新石器時代に国家を形成した事例はありません」「青銅器時代以降であることが国家の成立条件であり、古朝鮮の建国年代は紀元前10世紀とみるしかありません」「朝鮮人の先祖が新石器時代に国家を建国したと主張するのは、子供が生まれてすぐに走り回り、学校に行き、結婚したという主張と同様です。そんな主張をすると、世界の笑いものです。それは韓国が学問未開国になるということです」と述べている。 盧泰敦(朝鮮語版)(朝鮮語: 노태돈、ソウル大学)は、古朝鮮が紀元前2333年に建国したというのは、中国の堯と同時代に朝鮮に国家が存在し、朝鮮の歴史が中国の歴史に劣らないほど永いということを主張するためであり、歴史的事実ではなく、朝鮮上古の紀年を間延びさせているに過ぎず、「紀元前2333年という古朝鮮建国年代は、考古学調査による青銅器文化をみたときに、紀元前10世紀前後でしかない」と主張している。 宋鎬晸(朝鮮語: 송호정、韓国教員大学)は、徐居正(中国語版)らが著した『東国通鑑』が中国北宋の司馬光の『資治通鑑』を参考にして、堯の即位を紀元前2357年に設定し、堯の即位より25年後の紀元前2333年に檀君が古朝鮮を建国したと設定したのであり、建国年に具体的な根拠があるわけではなく、建国年としては意味がないと指摘している。
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