古墳群発見の経緯とは? わかりやすく解説

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古墳群発見の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:57 UTC 版)

長柄桜山古墳群」の記事における「古墳群発見の経緯」の解説

長柄桜山古墳群は、最近まで全くその存在知られていなかった。1994年平成6年)頃、地元葉山町在住考古学愛好家が、逗子市葉山町境界にある丘陵地帯尾根一角が、その形などから古墳ではないか思い始めた1999年平成11年3月中旬問題の場所で携帯電話中継所建設するために小規模な森林伐採が行われた。そして工事現場から、先の考古学愛好家が数片の埴輪破片採集したことがきっかけとなり、長柄桜山古墳群発見された。 これまで逗子市葉山町境界丘陵地帯古墳があるということは、全く知られていなかった。そこで急遽逗子市葉山町神奈川県の各教育委員会合同で、現地地形調査が行われることになったその結果工事区域を含む一帯全長80メートル前方後円墳らしいことが判明し携帯電話中継基地工事中止された。その後、この古墳長柄桜山古墳群第1号墳呼ばれることになったその後間もなく発見され前方後円墳西側500メートル丘陵ピーク部にも、前方後円墳らしい地形があることが、神奈川県内考古学研究家から指摘された。早速現地調査が行われたが、最初に発見され1号墳違って地形からだけでは古墳判断しにくく、そのうえ埴輪破片など遺物発見されていなかったため、すぐには古墳かどうか判断がつかなかった。そこで1999年平成11年6月墳丘思われる所を試掘してみたところ葺石埴輪確認されたため、改め古墳であることが確認された。後から確認され西側古墳は、長柄桜山古墳群2号墳呼ばれるようになった

※この「古墳群発見の経緯」の解説は、「長柄桜山古墳群」の解説の一部です。
「古墳群発見の経緯」を含む「長柄桜山古墳群」の記事については、「長柄桜山古墳群」の概要を参照ください。

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