古典上の海坊主
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寛政時代の随筆『閑窓自語』によれば、和泉貝塚(現・大阪府貝塚市)では海坊主が海から上がって3日ほど地上にいたとあり、海に帰るまでの間は子供は外に出ないよう戒められていたという。 随筆『雨窓閑話』では桑名(現・三重県)で、月末は海坊主が出るといって船出を禁じられていたが、ある船乗りが禁を破って海に出たところ海坊主が現れ「俺は恐ろしいか」と問い、船乗りが「世を渡ることほど恐ろしいことはない」と答えると、海坊主は消えたという。同様に月末には「座頭頭(ざとうがしら)」と呼ばれる盲目の坊主が海上に現れるという伝承もあり、人に「恐ろしいか」と問いかけ、「怖い」「助けてくれ」などと言って怖がっていると「月末に船を出すものではない」と言って消えるという。 江戸時代の古典『奇異雑談集』では「黒入道」という海坊主の記述がある。伊勢国(現・三重県)から伊良湖岬へ向かう船で、船頭が独り女房を断っていたところへ、善珍という者が自分の妻を強引に乗せたところ、海で大嵐に見舞われた。船主は竜神の怒りに触れた、女が乗ったからだなどと怒り、竜神の欲しがりそうな物を海に投げ込んだものの、嵐はおさまらず、やがて黒入道の頭が現れた。それは人間の頭の5-6倍ほどあり、目が光り、馬のような口は2尺(約60センチメートル)ほどあった。善珍の妻は意を決して海に身を投げたところ、黒入道はその妻を咥え、嵐はやんだという。このように海坊主は竜神の零落した姿であり、生贄を求めるともいう。 王大海による『海島逸志』では「海和尚」(うみおしょう)の名で記載されており、人間に似た妖怪だが、口が耳まで裂け、人間を見つけると大笑してみせるものされる。海和尚が現れると必ず暴風で海が荒れるといって恐れられたという。これはウミガメの妖怪視との説もある。 宝永時代の書『本朝語園』には船入道(ふねにゅうどう)という海坊主の記述があり、体長6,7尺で目鼻も手足もないもので、同様にこれに遭ったときには何も言わず、見なかったふりをしてやり過ごさなければならず、「あれは何だ」とでも言おうものならたちまち船を沈められるとある。また淡路島の由良町(現・洲本市)では、船の荷物の中で最も大切なものを海に投げ込むと助かるともいう。
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