参議院初の自民党派閥領袖
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「村上正邦」の記事における「参議院初の自民党派閥領袖」の解説
1998年12月、山崎拓グループ(山崎派)の派閥離脱を受け、旧渡辺派(政策科学研究所)会長を受け継いで村上派に移行[要出典]。自民党参議院議員の派閥領袖は史上初であり、後を含めても村上と山東昭子(番町政策研究所)の2人だけである。その後、派内の路線対立により清和会(三塚派)から離脱していた亀井静香グループと合流し、1999年3月18日に志帥会(村上・亀井派)を結成した[要出典]。同派最高顧問の中曽根康弘の後押しもあり[要出典]、初代会長を務める。同年7月、派閥会長の職を退いて自民党参議院議員会長に就任し、「参議院の法王」「参議院の尊師」「村上天皇」と異名を取るほど「参院のドン」として影響力を発揮する[要出典]。 1999年8月、長年の懸案だった国旗国歌法で、小渕恵三が全体の参議院審議の良好な雰囲気作りや中間政党であった公明党対策などの助言をし、成立にこぎつけた[要出典]。 1999年11月12日、当時の天皇明仁の即位10周年にあたり国立劇場で行われた政府主催「天皇陛下御在位10年記念式典」の後、同日午後から皇居外苑において開催された「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の主催者「天皇陛下御即位10年奉祝委員会」(稲葉興作会長。委員に森喜朗ほか)の委員となり祭典の運営に当たる[要出典]。同祭典の第2部「祝賀式典」において奉祝委員会委員を代表して祝辞を述べた[要出典]。
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