参議院事務局時代
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1947年5月の日本国憲法施行により、貴族院が廃されたため、参議院事務局の参事となり、事務次長を命ぜられた。草創期の参議院は混乱が続き、第5回国会(1949年)には、野党の妨害で松平恒雄議長・小林次郎事務総長が議長席・事務総長席に着けない中、議長席に着いた松嶋喜作副議長に従って代理として事務総長席に飛び上がり、会期延長の議事を補佐した。 1949年10月、参議院議員選挙立候補のために辞任した小林次郎の後をうけ、第2代参議院事務総長に選挙された。その後まもなく郷土の先輩である若槻礼次郎から直筆の祝詞をもらい、翌11月に病床にある若槻を訪ねて歓談したが、その内容は後輩に後事を託すようなもので、その1週間後に若槻は逝去した。また、同じ11月には松平議長が急逝し、後任者の選任や参議院葬の執行のための事務に奔走した。松平議長に引き続き緑風会出身である第2代佐藤尚武議長を支えた。
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