原曲の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 16:57 UTC 版)
オスマン帝国のスルタン(皇帝)マフムト2世は、歩兵部隊の再編をプロイセンの軍事顧問に任せていたが、海軍の一部はイギリスの専門家に任せていた。同様の西洋化志向から、スルタンは軍服を西洋風に改めるよう命じていた。 その跡を継いだアブデュルメジト1世は、暴力を用いることなく、父が始めた改革を推し進め、キャーティップ (Kâtip) と称された書記(下級役人)たちにも、服装を西洋化するよう命じた。イスタンブールの保守的な役人たちは、この措置を「異教徒の猿芝居」だと不平を言いながらも背広の上着を着るようになった。 クリミア戦争の最中、セリミエ兵舎 (Selimiye Barracks) の軍病院はイギリス軍専用となっていた。イギリス陸軍スコットランド旅団の隊員がキルト姿でいるのを見たイスタンブールの人々は、「donsuz asker(パンツをはかない兵士)」と、彼らのことを呼んだ。 あるイスタンブール市民は、セリミエ兵舎がユスキュダルへ通じる道路に面していたことから思いついて、役人たちを嘲るために、スコットランド旅団の軍楽行進曲をもとに、「Üsküdar’a giderken(ユスキュダルへ行く)」と題した歌を作った。 この曲は、後に映画化されゼキ・ミューレン (Zeki Müren) が主役を演じた。
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