南方のマウリア朝と北方のグレコ・バクトリア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:01 UTC 版)
「アフガニスタン」の記事における「南方のマウリア朝と北方のグレコ・バクトリア王国」の解説
紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配した。 紀元前130年頃、インド・グリーク朝のメナンドロス1世が死んで国が分裂すると、サカ族がガンダーラ地方でインド・スキタイ王国を興した。 紀元前2世紀後半、匈奴に追われた遊牧民の月氏が侵入し、グレコ・バクトリア王国は滅びた。 1世紀以降、先の大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄える。この頃にはギリシア文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになる。4世紀ごろまでバクト商人がシルクロード交易を掌握する。 3世紀末、クシャーナ朝に代わりサーサーン朝の支配がこの地に及ぶ。 5世紀前半、エフタルが興り、現在のアフガニスタンとパキスタンの地を支配する。 6世紀後半、アルタイ方面から南下してきた突厥による支配を受ける。
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