十市皇女に関する歌
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万葉集巻第1 22番(吹芡刀自作の波多の横山の巖にて、伊勢神宮に赴く十市皇女への寿歌)河の上の斎つ岩群に草むさず 常にもがもな 常処女にて十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手 万葉集巻第2 156~158番(高市皇子作の十市皇女への挽歌)「注:紀曰七年戊寅夏四月丁亥朔癸巳十市皇女卒然病發薨於宮中」三諸の神の神杉 巳具耳矣自得見監乍共 寝ねぬ夜そ多き三諸之 神之神須疑 已具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多 三輪山の山辺真麻木綿 短木綿 かくのみゆえに長しと思ひき神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故尓 長等思伎 山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴 156番の歌の「巳具耳矣自得見監乍共」の訓読として、「去年(こぞ)のみを我と見えつつ(去年ばかりは私と逢ったが、共に寝ない夜が多い)」(全註釈)「夢にのみ見えつつもとな(亡くなった人の姿が夢にばかり見えて、共に寝なくなった夜が多い)」(私注)「夢にだに見むとすれども(「夢にのみ~」と同じ意味)」(古典大系本)などが挙げられているが、未だ定説をみるには至っていない。ただ、万葉仮名の「共」を逆説の確定条件を示す接続助詞「ども」や「とも」として用いる例はないので、上のいずれの読み方であっても「ともに寝る」という解釈がされており、これを高市皇子との間に恋愛関係(肉体関係)があった根拠とする見方が多い。 十市皇女自作の歌は正式には一首も残されていないが、自作の歌が伝わる地方がある。伊勢下向の途上、波多神社(三重県津市)に参詣したときに十市皇女が詠んだ歌として「霰降りいたも風吹き寒き夜や旗野にこよひわがひとり寝む」という歌がこの神社の伝承として伝えられている。(万葉集には 巻10 2338 相聞歌 作者未詳として収録されている歌)
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