北魏との戦役とは? わかりやすく解説

北魏との戦役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:46 UTC 版)

崔慧景」の記事における「北魏との戦役」の解説

北魏が南侵してくると、崔慧景豫章王嶷の命を受けて3000人を率いて方城駐屯し司州援護あたった魏軍撤退した後も、梁州烏奴の乱が続いていたため、崔慧景は輔国将軍のまま持節都督南北秦沙四州諸軍事・西戎校尉南秦二州刺史となって、その対応にあたった崔慧景漢中の兵を動員して白馬進軍し分遣した支軍に烏奴の腹背から攻撃させると、烏奴は敗れて武興に逃げ帰った482年建元4年)、武帝即位すると、崔慧景冠軍将軍の号に進んだ485年永明3年)、冠軍将軍のまま建康召還され黄門郎に転じ羽林監を兼ねた486年永明4年)、隨王蕭子隆の下で東中司馬となり、輔国将軍の号を加えられた。持節都督司州諸軍事・冠軍将軍司州刺史として出向した。母が死去したため、辞職して喪に服したが、ほどなく武帝の命によりもとの任に戻された。崔慧景は州刺史から退任するたびに、多大な資産朝廷献上したため、武帝喜ばれた。491年永明9年)、建康召還され太子左率に転じた通直散騎常侍の位を加えられた。492年永明10年)、右衛将軍の号を受け、給事中の位を加えられた。 493年永明11年)、北魏が南侵しようとする動きをみせたため、崔慧景持節都督豫州郢州西陽司州汝南二郡諸軍事・冠軍将軍豫州刺史とされた。蕭昭業即位すると、崔慧景は征将軍の号に進められた。崔慧景年若い君主新たに立てられたのを見てひそかに北魏通交し、朝廷はその向背疑い恐れようになった。輔政をつとめた西昌蕭鸞蕭衍寿春派遣して崔慧景繋ぎとめようとした。崔慧景ひそかに蕭鸞明帝)の即位求め勧進おこなった崔慧景建康召還され散騎常侍となり、左衛将軍の号を受けた495年建武2年)、北魏徐州豫州進攻すると、崔慧景本官のまま仮節を受けて鍾離向かい王玄邈指揮従った。まもなく冠軍将軍の号を加えられた。497年建武4年)、度支尚書転じ太子左率を兼ねた。 冬、北魏が沔北5郡を攻撃してくると、崔慧景は仮節を受けて、兵2万率いて襄陽向かった雍州諸軍崔慧景指揮統制従った498年永泰元年)、崔慧景襄陽到着すると、沔北五郡はすでに陥落していた。崔慧景平北将軍の号を加えられ、佐史を置き、軍を分遣して樊城防備助けた崔慧景は渦口に駐屯し蕭衍・董仲民・劉山陽・裴颺・傅法憲らに5000人あまりを与えて鄧城に向かわせた。北魏数万軍勢が鄧城に襲来すると、崔慧景南門守り蕭衍北門守りそのほか部隊城壁の上に陣取った。ときに崔慧景らは朝早く食事をして急行していたため、みな飢え疲れていた。軍中北館の客3人が逃亡し北魏投降しその実情を知らせた北魏彭城王元勰は武衛将軍の元虯を城の東南分遣して崔慧景退路を断たせ、司馬の孟斌を城東に向かわせ、右衛将軍の播正を城北駐屯させて、交互に城内に射かけさせた。蕭衍は出戦を望んだが、崔慧景は「魏軍夜を徹して城を包囲しているので、日暮れ待てば自ら去るだろう」といって抑えた魏軍優勢明らかになると、崔慧景南門から自軍脱出させた。味方諸軍そのこと知らされておらず、後に続いて脱出した魏軍北門から進入し、劉山陽とその部下数百人が後方の敵に迫られ死戦した。魏軍の百余騎が劉山陽捕らえよう突出したところ、劉山陽射手に射させて3騎を転倒させ、手ずから十数人を殺し戦いながら後退した崔慧景南方の鬧溝を通過したが、軍人踏み荒らしたため、はみな破壊されていた。魏軍が道をはさんで射かけてきたため、軍主の傅法憲が殺され、溝に追い落とされ崔慧景の軍は死者があい枕する惨状となった。劉山陽上着武器で溝を埋め、溝を乗り越えて脱出できた。北魏孝文帝が沔北にやってきて、劉山陽樊城包囲した。劉山陽樊城でまた奮戦し夕方になって魏軍撤退した敗残崔慧景の軍は戦々恐々しながらその夕方に船で下って襄陽帰った

※この「北魏との戦役」の解説は、「崔慧景」の解説の一部です。
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