北魏の宝公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:51 UTC 版)
これらの偈頌と関連して興味深い記録がある。それは、北魏仏教の同時代史料である『洛陽伽藍記』巻4の「白馬寺」の条に見える宝公という僧に関する記述である。この宝公に関しては、他に見えず、その詳細は不明であるが、その記述は、ボロを着た姿、三世を見通す神通力、各種の予言をなし、北魏の実権者であった霊太后胡氏の末路も予言したと記される点など、南朝梁の宝誌に酷似した内容を持っている。さらに、その記事の最後は、宝公作の「十二辰歌」が、彼の遺作となったという記述で終っている。或いは同時代の別人かも知れないし、当時、南北両朝間を比較的自由に往来できていた僧の身分を考えると、宝誌であった可能性も拭い切れない。何れにしても、そこには、宝誌作とされる偈頌との関連が想起される。
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