北マリアナ諸島の政治家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 21:02 UTC 版)
「ベンジャミン・マングローナ」の記事における「北マリアナ諸島の政治家として」の解説
1972年にロタ島を代表してマリアナ政治地位委員会の委員を務めた。1976年の北マリアナ諸島第一回憲法大会では、初代副会長を務め、北マリアナ諸島憲法の起草に貢献した。1978年に第1回自治連邦議会 (北マリアナ諸島)の上院議員に選出されて以降、第6回議会(1988年 〜 1990年)までの間、連続して上院議員に再選された。 1989年、ロレンツォ・デ・レオン・ゲレーロの副知事候補を務め、当選。1990年から1994年まで1期務めた。その後、1997年に現職のロタ市長ジョセフ・ソンガオ・イノスを破り、1998年から2006年まで2期連続で市長を務めた。2006年選挙で、ジョセフ・ソンガオ・イノスが市長に就任しました。 2011年3月、北マリアナ諸島下院は下院決議17-45を採択し、マングローナを「公職における卓越したキャリアとCNMIへの模範的な貢献」として表彰した。この下院決議は、ロタ島選出で無所属のテレシタ・A・サントス下院議員によって提出された。 2011年4月6日、北マリアナ諸島上院は、マングローナの貢献を称え、ロタ国際空港の名称を「ベンジャミン・タイサカン・マングローナ国際空港」に変更する法案を可決。この法案は下院を通過して法律が成立し、当時知事代行を務めていたエロイ・イノスの署名で発効した。 2016年4月24日、北マリアナ諸島のロタ島で脳卒中のため78歳で死去した。
※この「北マリアナ諸島の政治家として」の解説は、「ベンジャミン・マングローナ」の解説の一部です。
「北マリアナ諸島の政治家として」を含む「ベンジャミン・マングローナ」の記事については、「ベンジャミン・マングローナ」の概要を参照ください。
- 北マリアナ諸島の政治家としてのページへのリンク