劣勢だった空の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:06 UTC 版)
「ナチス・ドイツのフランス侵攻」の記事における「劣勢だった空の戦い」の解説
イギリス、フランス、ベルギー三国の戦闘機数は、奇妙な戦争のあとの西方戦役が始まった当時は、ドイツ側より多かった。ドイツ側では、”奇妙な戦争”の間に、より高速なメッサーシュミットBf109E型の生産・配備が順調に進みドイツ空軍の主力になった。当時、フランス空軍の戦闘機は、モランソルニエMS406、ブロックMB150,カーティスH75(P-36のフランス向け輸出版)などであったが、もっとも機数の多いMS406は、Bf109Eに対して目立って劣っていた。 フランス空軍で、Bf109Eに互角に対抗できるのは、配備が始まったばかりのドヴォアチンD520であり、政府は大量発注を行っていたが、搭載エンジンの生産問題もあり、生産数は限られていた。イギリス空軍では、Bf109Eに互角に対抗できる機種は、スーパーマリン・スピットファイアであったが、フランス側の度重なる要請にもかかわらず、イギリス空軍はスピットファイアは本国部隊へ優先配備という方針を頑として変えず、フランスへ送られたのは、ホーカー・ハリケーンと旧式化したグロースター・グラディエーターの飛行隊であった。 ダンケルク以降は、イギリス空軍首脳は本国の防空を最優先とし、やはり度重なるフランス側の要請にもかかわらず、新規に戦闘機隊をフランスへ送ることはなかった。イギリス本土南部に展開されたイギリス空軍戦闘機のほとんどは、航続距離の問題があり、フランス本土上空での戦いに寄与することは僅少であった。 ドイツの地上軍は、ユンカースJu-87などの地上支援攻撃に強く依存しており、低速のJu-87は敵戦闘機の攻撃に脆弱だったが、空の戦いは概してフランス側に劣勢だったので、フランス空軍によるJu-87の地上攻撃の妨害も不十分だった。
※この「劣勢だった空の戦い」の解説は、「ナチス・ドイツのフランス侵攻」の解説の一部です。
「劣勢だった空の戦い」を含む「ナチス・ドイツのフランス侵攻」の記事については、「ナチス・ドイツのフランス侵攻」の概要を参照ください。
- 劣勢だった空の戦いのページへのリンク