加瀬台の古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:05 UTC 版)
加瀬台は矢上川の左岸にある標高30メートルの台地で、上部に加瀬台古墳群が分布している。行政上では川崎市幸区に属するが、日吉台・矢上台に隣接しており、日吉台古墳群と共に「日吉・加瀬古墳群」と総称されることがある。 加瀬台古墳群(1号墳-9号墳):夢見ヶ崎古墳群ともいう。台地の上部に7基が現存する。 詳細は「加瀬台古墳群」を参照 白山古墳:加瀬台古墳群の1つ。墳丘全長87メートルの川崎市最大級の前方後円墳。1937年(昭和12年)に発掘調査され、玉類や鉄器、三角縁神獣鏡などが出土した。調査後に消滅した。 詳細は「白山古墳」を参照 第六天古墳:加瀬台古墳群の1つ。白山古墳西隣に築造された直径約19メートルの古墳時代後期の円墳。1937年(昭和12年)に破壊される際に慶應義塾大学三田史学会が発掘調査を行い、泥岩切石積みの横穴式石室に置かれた箱式石棺から玉類や金銅製の鈴などとともに11体分の人骨が検出された。横穴式石室は、調査後に慶應日吉キャンパス内に移設・展示されたが、太平洋戦争中に大きく損傷し、石室基底部の石材しか残らなくなったとされる。また1970年代に高校グラウンドの拡張工事にあたって再移設されたが、その際に記録がまったく残されず、かつあまり時を経ずに石材が埋められてしまったため、しばらく大学内において行方不明となっていた。2012年(平成24年)に慶應義塾大学文学部教授の安藤広道が、テニスコート脇の日吉台地下壕構造物(耐弾式竪坑)を調査していた際、近くに泥岩の露出を発見し、第六天古墳石室と見て翌年3月に調査を行い、再移設地点を発見した。
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