劉表勢力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)
劉表(りゅう ひょう、字・景升) 荊州の牧。表の顔は子供のような目鼻立ちの仁君で、学者を始め戦乱を逃れた民を積極的に受け入れ、曹操から逃れてきた劉備を数年に渡って客分として厚遇してきた。だが裏では権謀術数を駆使して天下を狙う野心家でもあり、集めた学者や劉備たちも曹操に対抗するための手駒にしようとしていた。しかしその実、本気で曹操と覇権を争うつもりはなく、自身の知を学問として後世に残すことが真の目的であった。その考えを諸葛亮に見抜かれ、しまいには到底不可能であると宣告され、ショックのあまり倒れてしまう。その際に劉備に荊州を託す言葉を遺し、しばらくして病死。 劉琦(りゅう き) 劉表の長子。病弱な気質であったために嫡男としては扱われず、自らも家督争いを避けて地方で暮らしていた。劉表死後、劉琮らが曹操に降伏して劉備が荊州を追われると、諸葛亮と図って、逃亡する劉備を迎え入れる。 劉琮(りゅう そう) 劉表の嫡子で劉琦の弟。劉表の死後、群臣らの意見により曹操に降伏する。 蒯越(かい えつ、字・異度) 劉表配下の将。劉表が主君であると認める一方で、曹操を激讃して憚らず、諸葛亮にも物怖じしない。劉表の瀕死に際し、荊州牧の引き継ぎを劉備に嘆願するも断られてしまった。劉表の死後、劉琮の下で曹操に降伏することとなったが、降伏そのものには賛成であるものの、劉備と審議せず降伏の決議を行ったことや、傅巽らの降伏というものに対する考えの見誤りには激怒した。その後、劉備に単身降伏の由を伝え、曹操から逃げ切るヒントを与えた。 傅巽(ふ そん、字・公悌) 劉表の家臣。劉備のことを曹操に降伏する際の障害としか見ておらず、劉備の首を降伏の手土産にしようという意見にも乗ろうとした。
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