前秦の華北統一とは? わかりやすく解説

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前秦の華北統一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 13:57 UTC 版)

五胡十六国時代」の記事における「前秦の華北統一」の解説

同じ頃、後趙支配力が及ばなくなった陝西地方では、氐族苻洪秦王名乗り息子苻健長安入って皇帝即位した。彼らの建てた国は前秦呼ばれる一連の混乱乗じて東晋将軍桓温成漢滅亡させて四川東晋版図組み入れ354年北伐行い前秦攻めるが撃退された。桓温は一旦兵を引き上げるが、356年に再び北伐行い洛陽占領した前燕では慕容恪指揮の下、後趙段部などの残党平定し河南にもその勢力拡大していた。360年慕容儁死去すると息子の慕容暐継いだが、若年であったため叔父慕容恪実質的な指導者となった慕容恪前燕勢力をさらに拡大364年8月には東晋から洛陽奪い366年までに淮北をほぼ制圧し前燕全盛期迎えた360年中頃には前燕華北の東を前秦が西を領有して前趙後趙の時と同じよう東西での睨み合いの状態となった。 苻健の跡を継いだ苻生横暴周囲の不満を買い、従弟苻堅によるクーデター殺害された。苻堅優れた人物で、漢人王猛登用してその献言従い370年には慕容恪病死により揺らいでいた前燕滅ぼし華北最大勢力となった苻堅は、371年には甘粛拠っていた仇池を、376年には山西北部割拠する鮮卑拓跋部の代と前涼滅ぼして華北統一した。さらに朝鮮半島高句麗新羅朝貢国とし、勢力大きく奮った。

※この「前秦の華北統一」の解説は、「五胡十六国時代」の解説の一部です。
「前秦の華北統一」を含む「五胡十六国時代」の記事については、「五胡十六国時代」の概要を参照ください。

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