前半生と殺人事件につながる複数の出来事
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「イディス・トンプソン」の記事における「前半生と殺人事件につながる複数の出来事」の解説
イディス・トンプソンは1893年12月25日、ロンドンのダルストン(Dalston)のノーフォーク・ロード(Norfolk Road)97番地に、インペリアル・タバコ会社(Imperial Tobacco Company)の事務職員ウィリアム・ユースタス・グレードン(William Eustace Graydon)(1867年 - 1941年)と、巡査の娘であるその妻エセル・ジェシー・ライルズ(Ethel Jessie Liles)(1872年 - 1938年)との5子のうちの第1子イディス・ジェシー・グレードン(Edith Jessie Graydon)として生まれた。イディスは、子供時代、幸せな、有能な娘で、ダンスと演技に秀で、そして数学に天性の才能があった。1909年、学校を終えたのち、彼女はロンドンの地下鉄のオルドゲート駅(Aldgate tube station)近くの衣料品製造会社に入った。それから1911年、彼女はバービカン(Barbican)の、のちにアルダーズゲート(Aldersgate)の、婦人帽卸売業者カールトン・アンド・プライアー(Carlton & Prior)に雇われた。イディスは、スタイリッシュで聡明な女性としての評判をすばやく打ち立て、会社によって数回昇進させられ、ついにチーフ・バイヤーとなり、会社のためにパリへ定期的に旅行した。 1909年、15歳で彼女は、3つ年上のパーシー・トンプソンに出会った。6年間の婚約期間ののち、1916年1月、ふたりはロンドンのマナー・パーク(Manor Park)の聖バルナバ(St Barnabas)で結婚した。最初ふたりは、ウェストクリフ(Westcliff)(サウスエンド=オン=シー(Southend-on-Sea))に住み、それからエセックスのイルフォード(Ilford)のファッショナブルな郊外のケンジントン・ガーデンズ(Kensington Gardens)41番地に家を買った。ふたりとも華々しい経歴で、安楽な生活を送った。 1920年に、このカップルは、18歳のフレデリック・バイウォーターズと知り合いになったが、ただしバイウォーターズとイディス・トンプソンは9年前に会っていた。当時バイウォーターズは9歳で、イディスの弟の学友であった。1920年までに、バイウォーターズは商船に加わっていた。26歳のイディスはただちに18歳のバイウォーターズに惹かれたが、彼は美男で衝動的で、彼の世界旅行の話は、ロマンチックな冒険へのイディスの愛をかき立てた。イディスにとって、若々しいバイウォーターズはロマンチックな理想を示していた。比べれば、29歳のパーシーは、しっかりして保守的におもわれた。パーシーはこの若者を仲間に迎え、そして3人組は--イディスの姉妹エーヴィス(Avis)も加わって--ワイト島で休暇を過ごした。帰ってくるとき、パーシーは、バイウォーターズを自分たちの家に下宿するよう招いた。 その後まもなく、イディスとバイウォーターズは情事を始め、それをパーシーが見つけた。彼はふたりに立ち向かった。諍いが始まり、そしてバイウォーターズがパーシーにイディスと離婚するように要求したとき、パーシーは彼に家から出て行くように命じた。イディスはのちに、バイウォーターズが去った後の夫との暴力的な対決を詳しく述べ、夫が自分を数回にわたって殴打し、自分を室の向こう側に投げ飛ばしたと言った。1921年9月から1922年9月まで、バイウォーターズは海上にいて、この期間にイディス・トンプソンは彼宛にしばしば手紙を書いた。彼の帰還ののち、ふたりはまた会った。
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