制服および個人装備
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「ホーム・ガード」の記事における「制服および個人装備」の解説
編成直後の1940年5月には陸軍の作業服が制服として採用されたものの、当初は調達が難航し、多くの隊員は背広などの私服に腕章という姿で任務に従事した。作業服の仕立ては野戦服と同一だったが、生地は薄く、綿の割合が多かった。腕章は元々「LDV」と書かれていたが、改称にあわせて「HOME GUARD」と改められた。同年11月には新たな制服として陸軍と同等の野戦服の調達が始まったが、1941年春頃まではこれを受け取れず作業服を着用したままの隊員も多かった。 水筒や弾帯などの個人装備は、陸軍が第一次世界大戦頃に用いたものとほぼ同様であった。その中でもホーム・ガード・ハバーサック(Home Guard Haversack)として知られる背嚢はホーム・ガード向けに新たに設計されたもので、陸軍では用いられなかった装備である。この背嚢は金属資源を節約するべく、蓋部分にある1つのバックル以外に金属部品はなかった。 私服のまま小銃の講習を受けるLDV隊員ら(1940年) 陸軍軍曹からP14あるいはP17小銃の講習を受けるLDV隊員ら。LDV隊員は作業服を、軍曹は野戦服を着用している。 トンプソン・サブマシンガンを構えるホーム・ガード隊員。作業服には「HOME GUARD」のワッペンが縫い付けられている(1940年) 火炎瓶を使用した訓練を行う隊員ら。銃手はP14あるいはP17小銃と、BAR自動銃を装備し、布製弾帯をたすきがけにしている。(1941年) 野戦服姿のホーム・ガード隊員(1942年) 6ポンド海軍砲の照準器を覗くホーム・ガード隊員。野戦服の肩に「HOME GUARD」のパッチが縫い付けられている(1943年)
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