制度導入の自己目的化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:24 UTC 版)
元検事の郷原信郎(現桐蔭横浜大学 法科大学院 教授)は「司法への国民参加は、あくまでより良い社会を実現するための手段に過ぎない。だが、裁判員制度は導入することが自己目的化してしまっている。いったん実施を凍結した上で、国民全体であるべき司法の姿を議論した方がよい」と述べ、問題点として以下の指摘を行い、本制度への疑問を呈している。 制度の目的達成の不確実性「国民に身近な司法を」という目的には「他の先進国と比べ、日本は司法が身近ではない」という前提がある。しかし、司法制度はそもそもがその国の歴史、社会的状況が反映された結果として形作られるものであるが、「司法が身近ではない」という形式を重視して導入が決定された結果、「誰にも望まれていない制度」となってしまった感がある。 身近にするにしても、例えば痴漢冤罪などの国民が関心を持ちやすい、身近な分野の事件を対象とするなどもう少しやりようがあるだろうに、職業裁判官でも判決をためらう死刑判断を行う刑事事件を対象とするのは、裁判員となる国民の精神的負担が大きくなってしまう。 刑事事件への影響本制度ではあらかじめ選定された争点(公判前整理手続)を決められた日数で審議することになる。そのため、公判中に新たな争点が出てきた場合、たとえラフジャッジになってしまってでも強引に期間内で判決を出すか、それとも裁判員を入れ替えて審議をするかといった事態になりかねず、結果として刑事事件への処理機能が低下する恐れがある。
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