別称の麻沸散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:16 UTC 版)
華岡は、漢方を主体とする江戸時代の古方派の流れを汲み、後に西洋の蘭学(南蛮流・オランダ系の紅毛流外科)に進んだ漢蘭折衷派と称される。古の漢方医学を尊重するとの古法派の概念に基づき、後漢末期の医師・華佗が用いたとされる麻沸散にちなんで、同じ名称の「麻沸散」と別称されていた。 華陀の配合について、実態が不明であったことから、華陀の通仙散を再配合することは不可能であった。主要となる曼陀羅華(チョウセンアサガオ)の薬用部位について、当時の南蛮・紅毛流と中国漢方では異なっていた。華岡が配合した通仙散の現物は残されていないが、門人の中川修亭が編した『続禁方録』によれば、青洲が使用した曼陀羅華の薬用部位は、南蛮・紅毛流であったとされる。宗田一の研究によれば、通仙散の処方は漢蘭折衷派の花井仙蔵、大西晴信が京都で配合していた処方を改変したものであり、さらに花井らの処方は中国元代の危亦林が編纂した世医得効方にまで遡ることができるという。改変にあたって大きな示唆を与えたのは水戸藩医の原南陽だとの指摘もある。
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