初版の出版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:33 UTC 版)
本作品は『がんじがらめ』Airtight(密閉)という仮タイトルが付けられ、1934年に完成した。ジャーナリストで批評家のH・L・メンケン(H. L. Mencken)からは「本当に優れた作品」("a really excellent piece of work")と賞賛されたものの、複数の出版社から出版を断られ、1935年4月にようやくマクミラン出版社のジョージ・プラット・ブレット(George Platt Brett)が出版を決断した。マクミラン社の内部では、本作品の出版をめぐって議論もあった。同社の編集委員(Associate editor)で当時アメリカ共産党の党員だったグランヴィル・ヒックス(Granville Hicks)は、ランドの小説の出版に強く反対した。ランドが後に語ったところによれば、ブレットはこの小説が黒字になるかどうか確信を持てなかったが、出版されなければならない作品だと考え、出版を決めた。初版は1936年4月7日に出版された。 『われら生きるもの』のアメリカでの最初の出版は、商業的には成功しなかった。マクミラン社はこの小説が売れるとは期待せず、ほとんど宣伝しなかった。売れ行きの出だしは鈍く、後に上向いたものの、マクミラン社は初版の3000部が売れ切れる前に本書の印刷原版を廃棄し、発売から18ヶ月後には絶版にした。最初のアメリカ版からランドが受け取った印税は100ドルだった。 1937年1月には、カッセル(Cassell)社からイギリス版も出版された。また、デンマーク版およびイタリア版も出版された。これらの版の売れ行きはアメリカよりもかなり良く、1940年代まで販売され続けた。
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