初期幕府海軍の主力艦とは? わかりやすく解説

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初期幕府海軍の主力艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 01:09 UTC 版)

朝陽丸」の記事における「初期幕府海軍の主力艦」の解説

当時築地軍艦操練所において、幕府所有していた蒸気軍艦は、蟠竜丸咸臨丸、そしてこの朝陽丸だった。 文久元年(1861年)、イギリス長崎領事モリソンが、攘夷派浪士襲われ第1次東禅寺事件ときには矢田堀鴻艦長として長崎連絡航海をした。その翌年からは、同じく矢田堀を艦長として、小笠原諸島開拓のための往還漂着外国船の救助京阪への幕府要人送迎将軍護衛などに活躍する文久3年(1863年)には長州藩外国砲撃について使節団現地輸送したが、長州藩兵の攻撃受けて一時占拠される事態となった(朝陽丸事件)。 軍事的な出動としては、元治元年(1864年)、天狗党の乱における那珂湊出陣あげられる武田耕雲斎らが那珂湊立てこもった際に朝陽丸出勤命じられた。到着した朝陽丸対し陸上から砲撃があったが古式の砲だったため朝陽丸脅威にならなかった。朝陽丸停泊のまま、空砲威嚇した。浪士たち数百名が漁船乗り本船奪いに来たが、朝陽丸銃砲使わず航行始めたところ、皆陸上逃げていったという。朝陽丸逃げ遅れた1隻のみを捕獲し江戸湾帰港した幕府海軍軍艦戦場派遣した初めての事例になった以降軍艦として活動にはめざましいものがない。一応諸資料では、砲12門、コルベットとなってはいるが、砲艦といった方がいい大きさで、あるいは12門の砲も威力のあるものではなかったのかもしれない新たに幕府所有した冨士山丸回天丸、そして開陽丸活躍の場譲った

※この「初期幕府海軍の主力艦」の解説は、「朝陽丸」の解説の一部です。
「初期幕府海軍の主力艦」を含む「朝陽丸」の記事については、「朝陽丸」の概要を参照ください。

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