初代大手町社屋
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読売新聞本社の社屋は、1877年から1923年までに銀座一丁目、1923年から1971年までに銀座三丁目に立地していた。しかし、業務の拡大とともに、スペースが次第に手狭になり、増築しても限界に近づきつつあった。そのため、1961年、読売新聞が大手町にある大蔵省国有財産局と関東財務局の跡地(面積6,100平方メートル)の払い下げを求めた。読売新聞社による払い下げはいったん認められたものの、同じく入札を参加した産経新聞社の水野成夫会長(当時)の反対、および正力松太郎社主(当時)が移転を反対していたことで進捗が滞り、1968年にやっと合意が成立した。 読売新聞本社は、1969年8月10日の読売新聞朝刊1面に、新社屋を大手町に建設することを正式に発表した。1971年10月、大手町社屋を竣工した。銀座から大手町への引越プロジェクトは、銀座の頭文字「G」と大手町の「O」をとり、「GO作戦」と命名された。初代大手町社屋は地下5階、地上10階建てのビルであり、地下2階と3階に印刷工場を設け、延べ床面積は6万8609㎡。社屋の設計監理は三菱地所、施工は清水建設と大成建設が担当した。1974年10月11日、昭和天皇と香淳皇后が大手町社屋を訪問した。
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