列藩同盟軍の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:49 UTC 版)
この頃、新政府軍は関東を完全に制圧できていなかったため白河城へ増援する余裕が無く、黒羽藩によって歩兵3小隊と砲一門が4日に白坂に到着し同地の守備に就いた程度であった。一方、列藩同盟軍は秋田戦線で”同士討ち”をする羽目に陥り携主力の仙台藩は白川口に援兵を送ることができなくなっていた。また、列藩同盟軍はから兵力の集結や総攻撃の判断ができずに、5月16日から17日に小規模の攻撃を行った程度であった。 6日、列藩同盟軍はようやく兵力の再集結を終え、約2,000の兵力をもって白河城へ総攻撃をかけた。雨中であり両軍とも小銃の着火に手間取ったが、特に列藩同盟軍では旧式の小銃が多く戦力の大きな低下を招いた。列藩同盟軍はさらに27日、28日と連続して攻撃をかけたが、新政府軍はこれを撃退した。6月に入ると新政府軍は、5月6日の今市の戦いや15日の上野戦争での勝利によって、関東から旧幕府勢力を駆逐できたため、戦力に余裕が生まれ、板垣退助率いる土佐藩迅衝隊等第3縦隊及び第4縦隊や江戸の薩摩藩兵3隊と砲一隊などの精強な部隊が白河城へ増援された。列藩同盟軍は6月12日にも白河城へ攻撃を仕掛けたが、失敗に終わった。
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