分校の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 09:48 UTC 版)
1881年(明治14年)6月 - 和具小学校間崎分教場として開校。 1947年(昭和22年)4月 - 志摩町立和具小学校間崎分校に改称。 1955年(昭和30年)12月 - 志摩町立間崎小学校として独立。 2002年(平成14年)3月 - 志摩町立間崎小学校を閉校。翌4月から志摩町立和具小学校間崎分校に移行、休校に入る。 2003年(平成15年)4月 - 児童の入学により分校を再開。 2004年(平成16年)10月 - 市町村合併に伴い、志摩市立和具小学校間崎分校に改称。 2006年(平成18年)3月 - 25日に閉校式を挙行し、31日に廃校。 島内に公共交通機関はなく、訪問者は徒歩移動となる。自転車や軽トラックなどの車両を所有する島民もいる。港から島の東端に至る一本の道がメインストリートであり、島の端から端まで徒歩でも15分程度である。この道路は好況時に島民らがお金を出し合い、登茂山から架橋することを期待して整備したものである。ただし架橋計画は「観光客が押し寄せる」として島民の反対多数で実現していない。 島へは志摩マリンレジャーによって以下の航路が就航する。賢島 - 間崎間は約15分である。 賢島 - 和具航路 賢島 - 間崎 - 和具1日の運航便数は賢島発9便、和具発9便。運賃は2016年7月現在、賢島 - 間崎が370円、和具 - 間崎が250円。 賢島 - 間崎間の方が間崎 - 和具間よりも運航時間は短いが、運賃は賢島 - 間崎間の方が高い。就航率は99%と高く、年間利用者約34,000人は島民と三重県立水産高等学校への通学生でほとんどを占める。 半数弱の世帯は船を所有しており、定期船に頼らずに本土へ渡ることができる。本土で利用するための自家用自動車(自動二輪車、自転車を含む)を賢島に駐車、駐輪している島民もいる。本土に車両を所有していない島民は、タクシーや本土の家族の送迎車を利用する。
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