分校の縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 14:21 UTC 版)
多くの分校を有した磯部小学校は、戦後順次本校へ統合していった。その背景として伊勢湾台風による被災と、校舎の老朽化という設備面の課題と、教育効果を高めるという教育面の課題があった。まず1967年(昭和42年)4月1日に五知分校を休校して本校通学とし、1969年(昭和44年)4月1日に坂崎分校の5年生以上を本校通学、翌1970年(昭和45年)4月1日に飯浜分校の3年生以上を本校通学、1972年(昭和47年)4月1日に伊雑分校を休校し全員本校通学、1973年(昭和48年)4月1日に築地分校を休校し全員本校通学とした。五知・伊雑・築地の3分校は1980年(昭和55年)8月12日に廃校式を行って正式に廃校、1989年(平成元年)に飯浜分校も廃校となった。 こうして平成まで残ったのは、坂崎分校のみとなった。坂崎分校は1981年(昭和56年)2月21日に校舎が新築されている。
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