出生から初期の政治活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 17:18 UTC 版)
「エドゥアール・バラデュール」の記事における「出生から初期の政治活動」の解説
1929年5月2日にトルコのイズミルで、アルメニア系の家庭に誕生する(バラデュール家の先祖は、アルメニア人が大半を占めていた現在のアゼルバイジャンのナヒチェヴァンから、その領土を狙うペルシャ帝国による迫害を逃れるため、イズミルに移住した)。1935年に家族はマルセイユに移る。少年期はジャン=バティスト・ド・ラ・サール司教学院に入れられ、マルセイユのリセ・ティエール(Lycée Thiers de Marseille) を経て、エクス=アン=プロヴァンス大学法学部 (faculté de droit d'Aix-en-Provence) で法学の学士号を取得した。その後、1950年頃パリに出てパリ政治学院 (institut d'études politiques de Paris) に通い、公共政策(公共サービス)でディプロムを取得、続いて1955-1957年の間、フランス国立行政学院 (ENA, École nationale d'administration) とエリートコースを歩んだ。 1957年のENA卒業と同じ年、マリー・ジョセフィー・ドラクールと結婚し、4人の息子に恵まれる。 1964年、ジョルジュ・ポンピドゥー首相の顧問となる。1969年、ポンピドゥーが大統領に当選すると、バラデュールは大統領府官房長に任命された。ポンピドゥーの死後、一時期政界から離れていたが、1980年代にジャック・シラクを中心に新たなドゴール派の政党共和国連合が結成されると、これに参加する。右派・保守政治家として活動する一方で、フランソワ・ミッテラン社会党政権が誕生すると、コアビタシオンについても早くから言及し、これを支持していた。
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