出生から修養時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 09:47 UTC 版)
天保7年4月29日(1836年6月12日)、江戸・湯島天神下上手代町(現在の東京都文京区)の組屋敷に生まれる。父は幕府御家人で後年に関東郡代付の代官を務めた荒井清兵衛(顕道)で、郁之助は長男。幼名は「幾之助」で、祖父・荒井清兵衛(顕徳)の幼名にちなむ。荒井家は幕府の御家人で、代々小普請方を務めている家柄。郁之助出生時の荒井家には曾祖母・祖父母・2人の叔父(成瀬善四郎・矢田堀景蔵)、一人の叔母が同居する大家族であった。 7歳より隣家に住む六笠弘太郎や叔父の矢田堀景蔵(鴻)を師として漢学・儒学を学び、素読を始める。8歳で昌平坂学問所勤番組の内山孝太郎に入門し、内山の私宅で素読を行う。郁之助は素読を嫌い、13歳で素読吟味を済ませたという。14歳で湯島の昌平坂学問所に入学する。15歳より六笠弘太郎の勧めで書家の関雪江に書道を学ぶ。12歳より叔父の薦めで、下谷御徒町に道場を持つ直心影流の石川瀬平治に剣術を学び、日置流・伴道雪派と言われる鵜殿十郎左衛門から弓術を学び、神田橋の渡辺半十郎から高麗流八条家の馬術を学ぶ。18歳より西洋砲術を学びはじめ、20歳で幕府出仕(100俵10人扶持)、箕作阮甫のもとで蘭学を修めた後、軍艦操練所教授を命じられた。
※この「出生から修養時代」の解説は、「荒井郁之助」の解説の一部です。
「出生から修養時代」を含む「荒井郁之助」の記事については、「荒井郁之助」の概要を参照ください。
- 出生から修養時代のページへのリンク