冬季五輪のソチ開催決定と両国関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 19:18 UTC 版)
「ジョージアとロシアの関係」の記事における「冬季五輪のソチ開催決定と両国関係」の解説
雄大な自然に囲まれ、温泉が湧出し、なおかつ果物・野菜・畜産物など食材にも恵まれた、歴史あるリゾート地ソチでのオリンピック開催には、プーチンがことのほか熱心だったといわれる。プーチンとしては、モスクワやサンクトペテルブルクに偏りがちな経済発展が一方では国内他地域との格差を拡大させているため、南部発展の起爆剤にしたいという目論見があったといわれ、また、ソチは北コーカサスのクラスノダール地方に位置し、チェチェン共和国からもそれほど遠距離にないことから、チェチェン紛争によって非常に悪くなったロシアないし北コーカサスの暗いマイナス・イメージを、冬季オリンピックという国際的なイベントを開催することにより払拭したい狙いがあったとみられる。 かくして2007年、7年後(2014年)のソチオリンピック開催が決まったのであるが、これはソチに近いジョージアにとっては決して他人事ではなかった。ジョージア政府は、すぐさまロシア大統領に祝辞を贈り、その一方でアブハジア問題をこれに関連づけた。アブハジアはソチから50キロメートルしか離れておらず、列車も毎日運行していた。アブハジアの住民はしばしばソチなどで通商をおこない、頻繁に往復があることから、さっそく国際オリンピック委員会(IOC)にはたらきかけて、アブハジア和平の推進を要請したのである。 一方、アブハジア・南オセチアの「大統領」も「ソチの勝利はわれわれ自身の勝利」という祝辞を発表した。ここでの「両大統領」の発言はみずからロシアの一部であるという認識の表明であった。しかし、それは政府首脳のみならず、全体の9割におよぶといわれる、ロシアのパスポートを有していたアブハジアや南オセチアの人びとも同様であった。彼らは、2007年12月のロシア下院選挙に投票しており、国際法的にはジョージア国民のはずであるがすでにロシアの内政には参加していた。これは、ジョージア側からみれば、著しい主権侵害の行為であった。旧ソ連諸国もまたロシアに対する警戒を強めた。
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