冬季作戦大方針の変更と海城攻防戦とは? わかりやすく解説

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冬季作戦大方針の変更と海城攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)

日清戦争」の記事における「冬季作戦大方針の変更と海城攻防戦」の解説

10月8日イギリスが、翌日イタリア講和仲裁を、また11月22日清が講和交渉申し入れてきた。講和意識する伊藤首相陸奥外相は、山海関台湾威海衛攻略など大きな戦果が必要と考えていた。また大本営は、1)渤海湾北岸の上予定地点が不結氷点、2)威海衛にこもる北洋艦隊一掃2条件が揃えば8月31日定めた冬季作戦大方針」を変更し冬季直隷決戦考えていた。結局のところ、清の占領地第一軍第二軍冬営するとともに(やがて酷寒苦しむ)、前者海城攻略作戦を、後者威海衛攻略作戦山東作戦)を実施することが決まった12月1日第一軍司令部は、第三師団桂太郎陸軍中将海城攻略命じた第三師団は、凍結した坂を駄馬超えられない等、冬の行軍苦しんだものの、13日海城占領した。しかし、そこからが問題であった海城は、北西15km牛荘遼河河口港町)が、東北70kmに遼陽が、南西60kmに平がある陸上交通要衝で、清にとっても重要な拠点であったこのため翌年2月27日まで4回の攻防戦と、小ぜりあいが続くことになる。 12月30日着の大本営訓令により、海城第三師団第一軍支援として、第二軍のうち山東作戦参加しない第一師団から混成第一旅団歩兵第一旅団基幹)が編成抽出され平方面に進出させることになった翌年1月10日平占領)。その後直隷決戦または講和踏まえた第一軍による台湾攻略という大本営考え異なり第一軍第二軍を誘う形で新作戦(遼河平原での掃討作戦)が動き始める。

※この「冬季作戦大方針の変更と海城攻防戦」の解説は、「日清戦争」の解説の一部です。
「冬季作戦大方針の変更と海城攻防戦」を含む「日清戦争」の記事については、「日清戦争」の概要を参照ください。

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