冬の停泊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:06 UTC 版)
オーロラ号は1915年1月にマクマード入江に到着したが、オーストラリアを出発するのが遅れたために、南極での活動シーズンとしては遅い時期だった。予定から見れば3週間遅れていたので、マッキントッシュは補給所を設置する作業を直ぐにも始めるべきと判断し、それを自分で実行することにした。1月25日までに、初期犬ぞり隊の1つを率い、ステンハウスを船の指揮官に残した。マクマード入江が冬に向かって凍る前の数週間で、ステンハウスは残りの陸上部隊と物資の陸揚げを監督する必要があった。船には冬の安全な係留場所を見つけねばならず、マッキントッシュが出ていくときに指示したことでも、それがステンハウスの最優先課題であることは明らかだった。 マクマード入江で唯一安全な冬季係留場所として知られていたのは、スコットのディスカバリー遠征で使ったハットポイントの基地であり、マクマード入江を2つに分ける氷舌という突出部の南にあった。しかし、スコットの船は2年間氷に閉じ込められており、それを解放するために2回の救援船と何度かの探検行を必要とした。シャクルトンはこれを避けることとしており、マッキントッシュには氷舌より北で越冬するよう明確な指示を与え、それがステンハウスに伝えられていた。それまでこの湾の露出した北部で越冬した船は居らず、そうすることの判断については、経験のある水夫のアーネスト・ジョイスやジェイムズ・ペイトンの個人的な日誌で問題にされていた。遠征が終わった後で、ロス海支隊の救援隊を率いたジョン・キング・デイビスは、シャクルトンの指示が無視されるべきであり、ステンハウスはオーロラ号を凍り付かせる危険性があったとしても、ハットポイントの安全な地点に移しておくべきだったと記していた。 ステンハウスは最初に氷舌そのものの北側に船を停泊させようとした。風向きが変わり、氷舌と前進してくる叢氷の間にオーロラ号が閉じ込められる危険性があったのを、やっとかわすことができた。他の選択肢も検討したが却下し、結局はスコット大佐が昔テラノバ遠征で使った基地のエバンス岬沖で停泊することに決めた。氷舌の北約6海里 (11 km) の位置だった。3月14日、ステンハウスは何度も失敗した後で、オーロラ号を所定の位置に操船し、エバンス岬のある岸に対して船尾を向け、2つの大きな錨を投じて、海底に固定した。錨索と太綱が太い鎖と共に船尾に付けられた。主錨鎖も2つ落とされた。3月14日までに、二等航海士のレスリー・トンプソンに拠れば船は岸の氷に収まり、「戦艦を保持できるほどの太綱と錨が」使われていた。
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