写本巻末の和歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/07 14:36 UTC 版)
「従一位麗子本源氏物語」の記事における「写本巻末の和歌」の解説
なお、本写本が完成したとき源麗子が写本の末尾に書き付けたとされる以下のような和歌が勅撰集の一つ『新勅撰和歌集』に採集されて残っている。 「源氏の物語を書きて奥に書き付けられて侍りぬはかもなき 鳥の跡とは 思ふとも わがすゑヽヽは 哀れとを見よ」 —『新勅撰和歌集』巻7、雑2、1199 この歌はこの写本が「わがすゑ」すなわち自分の子孫たちに伝えられて行くことを詠み込んでいる。平安時代には、さまざまな記録から「物語」が無数に作られ、女性を中心に多くの人々に広く読まれていたことが分かっているが、当時の物語は数多くの物語が生み出されると同時に読み終われば捨てられ、消えていく運命にあるものであり、また更級日記において著者の菅原孝標女が長年源氏物語を始めとするさまざまな物語に耽溺していた自分を恥じているように、当時の物語の位置づけは「女子供の手慰み」・「絵空事」といったものであり決して高いものではなかった。それがやがて平安時代末期には藤原俊成によって歌作の場で「源氏見ざる歌詠み遺恨のことなり」などとして重要視され、古典化・聖典化へつながっていくようになるのであるが、この歌はそれに時代的に先行して源氏物語の写本を「子孫に残すべきもの」と考えていることが分かるという点で重要な証言であり、池田利夫はこの写本が作られたことは源氏物語伝播の様態の中で画期的な事であるとしている。
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